「悪法もまた法なり」意味と読み方
【表記】悪法もまた法なり
【読み】あくほうもまたほうなり
【ローマ字】AKUHOUMOMATAHOUNARI
たとえ悪い法律であっても、廃止されるまではその法に従わなければならにということ。
説明
悪法と善法を区別することがおかしいのであり、どんな法も法であるという教え。元は死刑判決が言い渡されたソクラテスが、言った言葉とされていた。昔、ギリシャのアテナイ(当時のアテネ)に高名な哲学者ソクラテスがいた。何人もの弟子を抱える賢者であり、世界四大賢者として、キリスト、釈迦、孔子に並び、ソクラテスとも知られている。ある時、弟子のカイレフォンがアポロンの神託所にて、「我が師であるソクラテス以上の賢者はこの世にいるのか?」と尋ねると、神のお告げより「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と巫女が答えたという。喜んでそのことをソクラテスに伝えると、ソクラテスは「私がそんなに優れた存在であると?そんな馬鹿な。」と言い、自分よりも優れた賢者を探すようになる。それは街を行き交う人々に「愛とはなんだ?」「お金とはなんだ?」「悪とはなんだ?」「正義とはなんだ?」と謎の質問をすること(対話法と呼ばれている。)であった。問題は、そんな質問をされても困るのは周囲の人たちである。答えても次には「じゃあ、○○とは?」「じゃあ、○○があるが、どういうことか?」と続けて質問されるからだ。それらには答えが無く、最終的に誰も答えられなくなるのである。こうして謎の質問で街の人たちを論破していくことがソクラテスの日課になってしまった。さらにソクラテスはエスカレートしていき、当時賢人と呼ばれていた政治家や詩人達、さらには画家や彫刻家のような手工者たちにもそうした質問をしたために、「賢者ソクラテスがまた論破に成功した」という評判が上がる一方、無知と指摘された人たちはソクラテスを憎むようになり、多くの敵を作ってしまった。やがて、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた。(アテナイが定める国の法や神を否定的に議論する若者が増えたのはソクラテスが変な質問したことであり、彼は反社会的な危険人物である。)」という罪で裁判にかけられることになる。とはいえ、ソクラテスは祖国アテナイを誰よりも心から愛しており、本来であれば死刑を免れたとも言われているが、「アテナイがそうした答えであれば、私は快く死を選ぼう。」として毒を飲んで死ぬことになる。実際に『ソクラテスの弁明』には「悪法もまた法なり」という記述はなく、後の創作と言われている。また、この時代はペロポネソス戦争でアテナイがスパルタに敗戦し、国は混乱しつつ、衰退の時期でもあった。裏切りの軍人アルキビアデスや、三十人政権(スパルタに保護を求める代わりにアテナイの政治の実権を握った30人のこと。元々いた政治家や思想家は、処刑、追放を行ったため、強い反感があった。)の指導者のクリティアスらがソクラテスの弟子ということもあり、これがアテナイの反社会的勢力はソクラテスにあり、と言われ、死刑の要因だったともいわれている。
詳細
注釈、由来
【注釈】古代ギリシャの哲学者ソクラテスが、裁判にかけられ死刑判決を言い渡されたときに言った言葉といわれている。
【出典元】-
【語源・由来】「悪法もまた法なり」と、ソクラテスは言わずに死んだと言われている。ソクラテスはアテネを誰よりも愛していた。「アテネが『死ね』というなら私は死のう。」というのが定説である。
「悪法もまた法なり」の言い換え、反対、似た言葉
【同義語】
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【類義語】
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【対義語】
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「悪法もまた法なり」の例文
【日本語】「君が腑に落ちないのも無理はないが、悪法もまた法なりだ」
【英語】
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