「明日ありと思う心の仇桜」意味と読み方
【表記】明日ありと思う心の仇桜
【読み】あすありとおもうこころのあだざくら
【ローマ字】ASUARITOOMOUKOKORONOADAZAKURA
いつ何が起こるかわからない、人生や世の中の無常をいった言葉。
説明
桜の花が、明日も咲いているだろうと安心していると、夜中の嵐で散ってしまうかもしれないという意味。「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」とは親鸞が九歳で得度(出家の儀式のこと。)を受ける際に詠ったという。明日はどうなるかわからない、世の中や人生は無常だというのは、幼い親鸞がこれからの自分の人生と、人々の人生を照らし合わせている。「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、はかないものの事。「明日ありと思う心の徒桜」と表すこともある。「世の中や人生も明日はどうなるかわからない。」「明日をあてにしていると、せっかくの機会を逸してしまう。」という時に使う。
詳細
注釈、由来
【注釈】「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、はかないもののたとえ。
【出典元】「親鸞上人絵詞伝」
【語源・由来】明日も咲いているだろうと思っていた桜も、夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという事から。 浄土真宗の宗祖とされる僧・親鸞の生涯をつづったもので、親鸞の曾孫である本願寺第3世の覚如が著作した『親鸞上人絵詞伝』にて。 「明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、そんなことはない)」と、親鸞が詠んだとされる和歌から。
「明日ありと思う心の仇桜」の言い換え、反対、似た言葉
【同義語】
–
【類義語】
世の中は三日見ぬ間の桜かな/朝に紅顔ありて夕べに白骨となる/無常迅速/諸行無常/万物流転/世の中は三日見ぬ間の桜かな
【対義語】
明日はまだ手つかず/明日は明日の風が吹く/明日のことは明日案じよ
–
「明日ありと思う心の仇桜」の例文
【日本語】「明日ありと思う心の仇桜というが、彼女の人生はきらびやかでいて、あっという間でもあった」
【英語】
Never put off till tomorrow what you can do today.
コメント