「弘法にも筆の誤り」意味と読み方
【表記】弘法にも筆の誤り
【読み】こうぼうにもふでのあやまり
【ローマ字】KOUBOUNIMOFUDENOAYAMARI
【意味】
その道にすぐれている人でも、時には失敗することがあるという意味。
その道にすぐれている人でも、時には失敗することがあるという意味。
説明
弘法大師のような筆の達人でも、時には書き損なうことがあるという意味。いかにすぐれた人物でも、時には失敗することがあるというたとえ。
詳細
注釈、由来
【注釈】「弘法」とは、弘法大使のことで、平安時代初期の僧、空海を指す。真言宗の開祖で、書の達人としても知られていた。
【出典元】-
【語源・由来】弘法大師のような筆の達人でも、時には書き損なうことがあるということ。 弘法大師は、平安時代初期の僧、空海のことで、真言宗の開祖である。書の達人としても知られていた。
「弘法にも筆の誤り」の言い換え、反対、似た言葉
【同義語】
弘法も筆の誤り(こうぼうもふでのあやまり)
【類義語】
権者にも失念/巧者の手から水が漏る/河童の川流れ/麒麟の躓き/猿も木から落ちる/孔子の倒れ/釈迦にも経の読み違い/天狗の飛び損ない/文殊も知恵のこぼれ/知者の一失/知者も千慮に一失あり/千里の馬も蹴躓く/千慮の一失/上手の猿が手を焼く/上手の手から水が漏る/百足のあだ転び/竜馬の躓き/念者の不念
【対義語】
千慮の一得/愚者にも千慮に一得あり/愚者も一得
【注意】
名人でない人や、自分のミスを弁護するために使うのは不適切。誤用例 「あれくらいの凡ミスなら誰にでもある。弘法にも筆の誤りというから、気にせず今後の試合も全力でいこう」「弘法にも筆の誤りというが、まさか私が計算ミスをするなんて自分でもびっくりだ」
名人でない人や、自分のミスを弁護するために使うのは不適切。誤用例 「あれくらいの凡ミスなら誰にでもある。弘法にも筆の誤りというから、気にせず今後の試合も全力でいこう」「弘法にも筆の誤りというが、まさか私が計算ミスをするなんて自分でもびっくりだ」
「弘法にも筆の誤り」の例文
【日本語】「彼のような優れた野球選手があんなフライ球を取り損ねるなんて、弘法にも筆の誤りはあるものだな」
【英語】
Even homer sometimes nods.
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