ことわざ故事成語100選

ことわざ故事成語を100個まとめました。(※故事成語:古い物語や言い伝えなどによるもので、最も知られている日本のことわざの故事成語は、紀元前より書かれた中国の古い書物から抜粋されたもの。今日でも日常的に使われるほか、歴史的にも重要な資料の一つにもなっている。)

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1~20

1.阿堵物(あとぶつ)
お金の別の言い方。明けても暮れても「お金、お金。」と言う人を忌み嫌って生まれた言葉。古代中国の晋の王衍は日頃から妻が金銭に貪欲なことを忌み嫌い、「銭」ということばを決して口にしなかった。妻は王衍になんとしてでも「銭」と言わせたく、王衍の寝台の周囲に銭を敷き詰め歩けないようにせよと下女に命じた。翌朝、…
2.井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかわずたいかいをしらず)
本来もっと広い世界があるのに、じつは狭い世界しか知らなかったときに使うたとえ。暗くて狭くてジメジメしていても、天敵がいない井戸は快適かもしれないが、世の中には綺麗な清流が流れる川や、どこまでも広がる広い海もある。井戸の中で暮らす蛙は、恐らくその事すらも知ることもなく一生を終えるという意味から。
3.一を聞いて十を知る(いちをきいてじゅうをしる)
わずかなことを聞いただけで全体を知得すること。頭の回転が速く理解力があるたとえ。孔子が弟子の子頁に「お前と顔回はどちらが優れているか」と尋ねたところ、「顔回は一を聞けば十を知るが、わたしは一を聞いて二を理解する程度です」と答えたという。
4.一衣帯水(いちいたいすい)
両者の関係がとても密接であるという意味。皇帝も民衆も中国の南北朝時代、南朝最後の国「陳」は、小さな国であるにもかかわらず、豪遊ばかりに興じるとんでもない皇帝(陳叔宝)だった。対し、陳の民は貧困に苦しみ、惨めな生活送っていたことから、北朝「隋」の皇帝(文帝)は進撃を決意する時の言葉になる。陳と隋は、長…
5.一言既に出ずれば駟馬も追い難し(いちごんすでにいずればしばもおいがたし)
「駟馬」は、四頭立ての馬車のことで、とても速い馬車のこと。一度口にした言葉は、四頭立ての快速馬車で追いかけても追いつかないという意味から、ことばは慎むべきだという戒め。紀元前約500年ごろの中国の春秋時代末期、力失いつつある周王朝を背景に、中国は戦国時代へ移行しようとしていた。孔子の弟子の一人である…
6.一字千金(いちじせんきん)
「千金」とは、千両または大金の意で、一字の価値が千金に相当するほどにすぐれているということから。中国の紀元前239年、秦の丞相の呂不韋は、諸国から学者や思想家などを集めて編纂した書物『呂氏春秋』を作った。この書物は、儒家、道家、法家、兵家、陰陽家などの諸説を使いながら天文暦学や音楽理論、農学理論など…
7.一諾千金(いちだくせんきん)
誰からも信頼できる者に承諾を得ることは、大金以上の価値があるという意味。中国、秦滅亡後の楚漢戦争の時代、楚の季布は信義厚い任侠として知られ、いったん承知し引き受けたことは必ず守り通す男だった。楚の人々は、季布の一度の承諾を得るほうが、千金のような大金を得るより価値があると口にしたという。当時、戦争が…
8.烏頭白くして馬角を生ず(うとうしろくしてうまつのをしょうず)
中国、戦国時代に燕の『太子丹』が奏の人質になって帰郷を望んだ時、奏王から「頭の白いカラスと、角が生えた馬が現れたら、国へ帰してやろう。」と言われ、「そんなこと、あるわけがない。もはや故郷を見ることも無いだろう。」と絶望していた。すると、本当に頭の白いカラスと角が生えた馬が現れたため、秦王は「約束は約…
9.雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
軒下から落ちるわずかな雨垂れのしずくでも、長い間同じ所に落ち続ければ、ついには硬い石に穴をあける意味から。「穿つ」とは、穴をあける、掘るという意味。「雨垂れ石窪む」とも。「点滴石を穿つ」ともいう。「泰山之霤穿石(泰山に降る雨の霤は石を穿つ)」中国の歴史書『漢書・枚乗伝』より。泰山とは、中国山東省中部…
10.瓜田に履を納れず(かでんにくつをいれず)
瓜畑でかがんだ状態でいると、「ウリを盗むのか?」と疑われる恐れがあるので、かがんで靴を履き直すような真似はしてはならないということから。疑念を招くような行為は避けたほうが良いという事。「履を納れず」は、靴に足を入れるという意味。中国北宋に郭茂倩よって編纂された楽府集『文選・古楽府・君子行』に「君子は…
11.越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く(えっちょうなんしにすくい、こばほくふうにいななく)
故郷は忘れがたいことのたとえ。中国南方の越の国から北国へ渡った鳥は、樹木の南側の枝に巣をかけ、北方の胡の国から来た馬は、北風が吹きよせると故郷を想って嘶くという意から。『文選』の古詩「胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣くう」による。単に「越鳥南枝に巣くう」や「胡馬北風に嘶く」ともいう。
12.燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
『史記』の「磋呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という記述から。中国の楚王である陳渉が、若いころ農耕に雇われていたときに、その大志を嘲笑した雇い主に向かって言ったことば。「ツバメやスズメのような小さな鳥にはオオトリやクグイのような大きな鳥の志すところは理解できない」という意味である。歴史書『史記』よ…
13.易簀(えきさく)
高名な学者などが死際になっていることを表現した言葉。「易」は易経や易学を意味する言葉でもあり、本来は「かえる」、「とりかえる」、「やさしい」という意味がある。
14.遠慮なければ近憂あり(えんりょなければきんゆうあり)
目先のことばかりにとらわれてしまい、遠い将来を見越した考えを持っていないと、近い将来必ず困った事が起きてしまうという事。
15.鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)
「鴛鴦」はおしどりのことで、「鴛」は雄。「鴦」は雌を表す。おしどりは、いつも雄と雌が寄り添って離れないことからいう。「昔、韓憑(かんぴょう)と何氏(かし)という中の良い夫婦がいた。ところが、何氏があまりにも美しい美人であったため、宋の国王であった康王(こうおう)の目に留まり、無理矢理、康王の妻にして…
16.苛政は虎よりも猛し(かせいはとらよりもたけし)
民衆を苦しめる政治は、性質が荒く乱暴な虎よりも恐ろしいという意味。孔子が泰山のふもとを歩いていると、一人の婦人が墓の下で泣いており、そのわけを聞くと婦人は「夫と子供と舅が虎に食い殺されたからです。」と答えた。孔子が「それならば、何故この地から出て行かないのか」と尋ねると、婦人は「ここでは税金を取り立…
17.過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることも、やり足りないことも、良いこととは言えない。何事も、度が過ぎるのも、足りないのも、同じようなものだということ。物事は中庸が大切だということ。孔子の弟子である子貢が、同じ弟子である、子張と、子夏のどちらが優れているか?と孔子に尋ねた時に、「子張は度を越えたやりすぎ…
18.画竜点睛を欠く(がりょうてんせいをかく)
全体としてはよくできているが、肝心なことがかけているというたとえ。また、最後の仕上げが不十分なために全体が不完全になってしまうこと最後の大切な仕上げを怠ったために、全体が不完全になったり、引き立たなかったりすることのたとえ。中国の梁の時代、張僧繇(ちょうそうよう)という絵師が壁に立派な竜の絵を描いた…
19.会稽の恥(かいけいのはじ)
中国の春秋時代、越王勾践が呉王夫差と会稽山で戦って敗れ、自らは夫差の臣下になるという屈辱的な条件によって和睦を結んだ。後年、勾践は夫差を討って、恥をそそいだという逸話がある。その恨みを晴らすことを、「会稽の恥を雪(すす)ぐ」という。
20.快刀乱麻を断つ(かいとうらんまをたつ)
「快刀」とは切れ味鋭い刀のことで、「乱麻」はもつれた麻糸のこと。よく切れる刀で、もつれた麻の糸を見事に断ち切るという意味から、複雑な問題やごたごたした事態を鮮やかに解決するということ。単に「快刀乱麻」とも。込み入ってどうにもならない問題などを、鮮やかに解決することのたとえ。中国の南北朝時代、北斉の礎…

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21~40

21.渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず)
どんなに苦しい境遇にあった場合でも、決して悪事には手を出さないということ。孔子が山東省を旅行しているときに、泗水にある盗泉という名の泉のそばを通りかかった。孔子はからからに喉が渇いていたが、「盗泉」という泉の名を嫌い、「名前だけでも身が汚れる」と言ってその水を飲まなかったという。その故事を晋の陸機が…
22.渇して井を穿つ(かっしていをうがつ)
喉が渇いてから井戸を掘っても手遅れだということから、前もって準備をしなくて、必要な時に必要なものを準備するのでは到底間に合わないという意味。中国の王朝・前漢の学者および政治家として知られていた劉向(りゅうきょう)が編纂した歴史故事集の「奉仕」という編に収められている。そこには「飢えて黍稷を求め 渇し…
23.株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ)
昔、宋の国の農夫が、兎が木の切り株にぶつかって死んだのを見て以来、農夫は畑を耕すのをやめて、切り株の番をして兎を捕ろうとしていた。ところが兎は二度とは手に入れることができず、自分自身は宋の国中の笑いものになってしまったという。中国戦国時代の法家である韓非の著書『韓非子』より。「株」は「くいぜ」とも読…
24.敢えて後れたるに非ず、馬進まざればなり(あえておくれたるにあらず、うますすまざればなり)
自分の手柄を自慢したり、ひけらかしたりせずに、謙遜するというたとえ。現代訳にすると、「わざと遅れたわけではなく、馬が遅かっただけだ。」という解になる。昔、中国の魯という国に、大夫(貴族のこと。)の孟之反が、戦争で味方の軍が負けてしまうことがわかったときに、自分の率いる軍をわざと遅らせて、味方の退却を…
25.管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)
中国、春秋時代の管仲と鮑叔が、少年時代から生涯変わらぬ友情を持ち続けたという話から。親友であった管仲と鮑叔が共に商売をしたときに、貧しかった管仲は自分の分け前を余計に取ったこともあったが、鮑叔はそれを知っても一言も責めなかった。それどころか、二人の友情は深まるばかりで、鮑叔は斉の宰相に管仲を推薦した…
26.韓信の股くぐり(かんしんのまたくぐり)
「韓信」とは、漢の天下統一に功績のあった名将。韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られたが、韓信は大志を抱く身であったからごろつきと争うことを避けた。言われるまま彼の股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたが、その後韓信は大成し、天下統一のために活躍したという。(後に、張良、蕭何と共に漢の三傑と…
27.奇貨居くべし(きかおくべし)
秦の商人、呂不韋が若い商人だった頃、趙の人質となって冷遇されていた秦の王子である子楚を見て「奇貨居くべし(珍品は手元におくべきだ。)」と思い、資金の援助を惜しまなかった。後に子楚が荘襄王に即位すると、呂不韋は宰相に取り立てられて、文信侯として秦の政治を左右した。呂不韋は始皇帝の父(育ての親)ともいわ…
28.岐路亡羊(きろぼうよう)
中国戦国時代、漢の楊子の隣家で羊を逃がし大勢で追いかけたが、分かれ道が多くて見失ってしまった。その話を聞いた思想家・楊朱は、学問の仕方もそれと同じで、方法がいくつにも分かれているので学者は真の生き方がわからないと悲しんだという故事に基づく。 現在の情報過多によって、答えが分かりにくいという人もいるが…
29.騎虎の勢い(きこのいきおい)
「騎虎」はトラに乗ることで、トラに乗って走り出すと、途中で降りたらトラに食い殺されてしまうので、仕方なく最後まで走り続けなければならないことから。勢いやはずみがついて途中でやめられなくなることのたとえ。「随書」独孤皇后北周の宣帝が没したときに、隋の高祖に対して皇后が、「大事已に然り。騎獣(騎虎のこと…
30.疑心暗鬼を生ず(ぎしんあんきをしょうず)
心に疑いがあると、様々な不安や妄想を掻き立てられ、なんでもないことでも恐ろしく思えたり、疑わしく思えたりするものである。疑いの心をもっていると、暗闇の中にいるはずのない鬼の姿が見えたりするという意味。中国の『列子』より。
31.泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)
三国時代、蜀の諸葛孔明が魏と戦ったとき、親友の弟で腹心の部下だった馬謖が命令に背き、布陣したため大敗を喫した。孔明は軍法に従い、涙を流して馬謖を斬罪にしたという『三国志・蜀志・馬謖伝』にある故事に基づく。規律や秩序を守るためには、たとえ肉親や親しい人であろうと己の情を捨て、切り捨てないといけないとい…
32.窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)
追い詰められたネズミが逃げ場を失ったとき、猫に噛みつくことがある。どんなに弱い者でも、窮地に追い詰められれば、強い者に攻撃するというたとえ。弱者や、立場が下の者を侮ってはいけないと言う事。「死して再びは生きずとなれば、窮鼠も狸を噛む(窮地に立たされた鼠は狸(猫のこと。)を噛む)」中国前漢時代の討論会…
33.漁夫の利(ぎょふのり)
ある日ハマグリが貝殻を開いて日向ぼっこしていたら、シギが飛んできて、いきなりクチバシを入れてきた。驚いたハマグリは、貝殻を閉じ、シギのクチバシに食らいついたような状態になった。「なあ、その貝殻、離してくれないか?」とシギが言うと、「あなたこそ、離した瞬間に私を食べるつもりなのでは?その前に私を掴んで…
34.魚の水を得たるが如し(うおのみずをえたるがごとし)
魚は水がなければ生きていけないことから、切るに切れない関係のこと。その人の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。三顧の礼を尽くして諸葛公明を迎えた劉備が、彼らの交際に不満を募らせる関羽や張飛に対して言った言葉から。「狐の孔明有るは、猶魚の水有るがごときなり。願わくは諸君復言うこ…
35.襟を正す(えりをただす)
衣服の乱れを正すことから、気持ちを引き締めることをいう。紀元前約180年ごろの中国の前漢の時代。賈誼と宋忠という若い学者二人が休日に「易経とは何か?」について議論していた。ところが話がまとまらず、実際に易者に聞いてみることにした。「易」とは、占いのことだが、古代周王朝の時代から伝わる「周易」を基礎と…
36.九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
「九牛」の「九」は具体的な数字ではなく、数が多いという意味。多くの牛の中のたった一本の毛という意から、たくさんある中のきわめてわずかな部分のことをいう。「たとい僕、法に伏し誅を受くるも、九牛の一毛を亡うが若し(私が罪によって殺されたとしても、それは九牛が一毛を失った程度のこと)」中国前漢時代の歴史家…
37.愚公、山を移す(ぐこう、やまをうつす)
地味な努力でも、たゆまず続ければ、どんな大事でも成し遂げることができるというたとえ。昔、中国で九十歳近い愚公という老人が、家の前にあって出入りの邪魔になる二つの山を崩し始めた。人々はその愚かさを嘲笑したが、「私が死んでも子孫に引き継いで続ければいつか必ず出来る」と言い、決して止めなかった。そんな愚公…
38.傾城(けいせい)
古代中国より美しい女は国を滅ぼすほど危険な存在であると説いていた。世界でも似たような事例が多くあり、日本でも遊郭で遊びすぎた大名が一国を潰してしまうほど借金を抱えてしまったという話もある。「傾国」と「傾城」はまったく同じ意味であり、それぐらい異性にはくれぐれも気をつけろという戒めである。この言葉が生…
39.蛍雪(けいせつ)
中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は雪明りで書物を読み勉学に励んだという故事から。晋の車胤は、家が貧しく灯油が買えなかったので蛍をたくさん集め、その光で勉強をした。また、孫康も家が貧しく灯油が買えず、窓辺に雪を集めて、その明かりで書物を読んだ。こうした努力の結果、後にこの二人とも…
40.鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
いかに多くの鳥がいても、鶴一羽の価値には及ばないと考えられていたことから、凡人な人間が大勢いる中で、ひときわすぐれたひとが混じっているというたとえ。中国晋王朝について書かれた歴史書、「晋書・稽紹伝」より。「きのう人混みの中で初めて稽紹を見たが、まるで野生の鶴が鶏の群れの中にいるようであった。」と、晋…

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41~60

41.言うは易く行うは難し(いうはやすくおこなうはかたし)
言うは易く行うは難しとは、何をするにしても、口で言うのは簡単だがそれを実行するのは大変難しいということ。「言う者は必ずしも徳有らず。何となれば、これを言うは易くして、これを行うは難ければなり」は中国の「塩鉄論」から。塩鉄論は当時前漢時代の中国で商人たちの塩や鉄の利益に対し、国家が口出しして利益を貪る…
42.虎に翼(とらにつばさ)
虎のような強い者に、空を飛べる翼が加わるということから。多くは、好ましくないものに用いられる。『韓非子・難勢』に「毋為虎傅翼(虎の為に翼をつくることなかれ)」という記述がある。「もとから強い虎に翼を与えることはするな」という意味であり、「虎に羽」「虎に角」ともいう。
43.虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)
権威や権勢、実力を持つ者に頼って、威張る小者の事。『戦国策・楚策』にある、下記の話に基づく。ある時、腹をすかせた虎が狐を捕まえた時、「お前は私を食べるつもりか?私は神の命により動物の王になった。もし私を食べるのであれば、お前は神の意にそむくことになり、八つ裂きにされるだろう。」と狐は、まるで自分が貴…
44.五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)
同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさをいう。多少の違いはあっても、本質的には違いがないということ。差が大きすぎるもの同士、すぐれた者同士に使うのは誤り。中国の戦国時代に、梁の恵王が「自分は、凶作の地にいる民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているのに、なぜ各地から人民が集まらない…
45.呉越同舟(ごえつどうしゅう)
仲の悪いもの同士であっても、互いに力を合わせるという意味。中国の「孫子兵法」から。中国の春秋時代に「呉」と「越」が頻繁に争っていたため、平民も国が違うだけで壁を作るような付き合い方だった。ある時、「呉」と「越」の国の人々が同じ船に乗らなければいけない状態に。しばらくして嵐が発生し、老人は転んで足がす…
46.口に蜜あり腹に剣あり(くちにみつありはらにけんあり)
言葉では相手を喜ばせるようにさも優しそうなことを言うが、心の中は険悪で悪意を抱いていることをいう。中国、唐の玄宗に仕え、宰相として権力をふるった李林甫が、甘い言葉で人に接し、陰では人を陥れたことを評したことば。中国北宋の儒学者・司馬光が編纂した歴史書『資冶通鑑』より。
47.三十六計逃げるに如かず(さんじゅうろっけいにげるにしかず)
戦況が不利だと感じた場合、あれこれと新しい策を考えるより、とりあえず逃げて身を守る方法もあるという意味。単純に「逃げるが勝ち」ともいう。 「三十六」とは、中国古代の兵法にある三十六種類の戦術のこと。 「敬則曰、檀公三十六策、走是上計」(南斉書・王敬則伝)という言葉からの語源。
48.三年飛ばず鳴かず(さんねんとばずなかず)
大いに活躍する機会を、長い間じっと待っていることのたとえ。三年間飛びも鳴きもしない鳥は、ひとたび飛べば大空高く飛び上がり、ひとたび鳴けば人を驚かすという意味。中国戦国時代、楚の国では荘王が即位したとき、荘王は三年間政治に一向に見向きもしなかった。部下である伍挙が、三年間鳴きも飛びもしない鳥に見立てて…
49.思う念力岩をも通す(おもうねんりきいわをもとおす)
物事は真剣になって行えば、どんなことでもやって出来ないことはない。岩のように堅く大きな障害があったとしても、その壁を乗り越え必ず成就させることができるということ。李広が草の中にいる虎を石と見間違えて弓を射たら、その矢は刺さるはずのない石に突き刺さったという「石に立つ矢」の故事から。楚の熊渠子にも同様…
50.死馬の骨を買う(しばのほねをかう)
とりあえず凡人を優遇しておけば、やがて賢者がおのずと集まってくるというたとえ。一日に千里を走る名馬を買うために、使者は千金を持って出かけた。しかし使者は、すでに死んでいた名馬の骨を五百金で買って帰ってきた。 王が怒ると、使者は「死んだ馬の骨にさえ五百金も払うという噂が広まれば、王は馬の値打ちがわかる…
51.朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
人は環境の変化によって、良くも悪くも流され(染まり)やすいというたとえ。中国の傳玄「太子少傳箴」より「近墨必緇、近朱必赤(墨に近づけば必ず黒く、朱に近づけば必ず赤くなるの意味)」という言葉によって生まれた。墨の黒も、朱色も、とても強い色であり、少し別の色を混ぜてもほとんど変化しないため、いろんなもの…
52.秋の扇(あきのおうぎ)
夏の暑いときには重宝された扇も、秋になれば暑さもなくなり用が無くなる意味から、年老いて、男性の愛を失った女性のたとえ。前漢の成帝の妃・班 倢伃(ハンショウヨ)が、成帝の寵愛を失い、不要になった我が身を秋の扇にたとえて嘆きの詩『怨歌行』を詠んだという。
53.柔よく剛を制す(じゅうよくごうをせいす)
しなやかで柔らかいものは、力だけで押してくる剛強なものの矛先をそらして、結局は勝つことになるという意味である。古代中国の兵法書『三略』には「軍神に曰く、柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す(兵法の書にいう、柔らかいものはかえってかたいものを押さえつけ、弱いものはかえって強いものを押さえつける)」とある…
54.春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
春の夜はおもむきがあり、そのひとときは千金の値打ちがある。華やいだ後の静寂が、春宵の価値を高めているという意味。日本では春の夜の素晴らしさをあらわす句であるが、中国ではほとんどが男女の恋情をあらわすときに使われる。おぼろ月夜に花の香りが漂う春の宵のひとときは、千金にも値するほどすばらしいということ。…
55.人生朝露の如し(じんせいちょうろのごとし)
朝日が出ればすぐに消えてしまう朝露のように、人生ははかなくて短いものだということ。「人生、朝露の如し。何ぞ自ら苦しむこと此の如き(漢書・蘇武伝)」前漢時代に李陵が匈奴の捕らえられ先で友人の蘇武に会い、体調を気遣って、降伏を勧めた話の一節。(蘇武はモンゴルの北方民族「匈奴(きょうど)」へ中国の前漢王「…
56.図南の翼(となんのつばさ)
壮大な計画や目標を立て、それらを成し遂げようとすることをいう。中国の戦国時代の思想家であり、道教の始祖の一人とされる荘子の寓話「逍遙遊」に記されている。そこでは、「図」を計画・目標、「南」を南方の海、「翼」を中国に伝わる伝説の大きな鳥・鵬を表している。伝説の大鳥・鵬が南方にある大海を目指し飛び立った…
57.水魚の交わり(すいぎょのまじわり)
水と魚が切っても切れない関係にあるように、離れることが出来ない非常に親密な関係のこと。三国時代の蜀の王、劉備が諸葛孔明と自分の関係について、「孤(君主の自称)の孔明あるは、猶魚の水有るがごとし(自分に孔明が必要なのは、魚にとって水が必要なのと同じだ)」の部下の関羽と張飛に語ったという話から。もともと…
58.青は藍より出でて藍より青し(あおはあいよりいでてあいよりあおし)
「藍」とは、染料に使う藍草のことで、藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となる。その関係を弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという意のことわざ。荀子の言葉で、学問や努力により持って生まれた資質を越えることができるということ。弟子が師よりまさってしまうことのたとえ。青色の染料は藍…
59.石に漱ぎ流れに枕す(いしにくちすすぎながれにまくらす)
中国の晋の孫楚が、本来なら「石に枕し流れに漱ぐ(俗世間を離れ、人里離れたところで自由に暮らす)」と言うべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤ってしまったとき、友人の王済に「流れを枕として、石で口をすすぐって、どうやるんだ?」とからかわれた。すると負けん気の強い孫楚は、「流れに枕するのは俗事を聞い…
60.先ず隗より始めよ(まずかいよりはじめよ)
遠大な事業を起こす時には、まず手近なところから始めよということ。どうすれば賢者を招くことができるかと燕の昭王に問われたときに郭隗が、「まず私のような凡人を優遇することから始めて下さい。そうすれば優秀な人材が集まってくるでしょう」と言ったという、『戦国策・燕』にある故事に基づく。

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61~80

61.先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)
先手を取れば相手を抑えることができるから、何かをする時は人より先にやるのがいいということ。何事であっても、後手に回っては勝ち目がないという教え。江西の人々が、秦に対して反乱を起こした時に、殷通(いんとう)という長官が項羽に対して、「先んずれば人を制す、後るれば則ち人の制する所と為る(こちらが先にやっ…
62.創業は易く守成は難し(そうぎょうはやすくしゅせいはかたし)
国家を建設することよりも、それを維持することのほうが難しいという意からできたことわざ。新しく事業を始めることはたやすいが、その事業を受け継いで守ることは難しいということ。唐の太宗(たいそう:中国の唐を建国した人物と言われている。第二皇帝。)が、「帝王の業は、創業と守成とどちらが難しい」と側近に尋ねた…
63.宋襄の仁(そうじょうのじん)
不要なあわれみをかけたことで、ひどい目にあうこと。中国の春秋時代に、「宋」の襄公が「楚」と戦った時に部下の一人が、「敵の陣容が整わないうちに攻撃しましょう」と進言したが、襄公は「人の弱みにつけこんで攻めることは、すべきではない」と攻撃をしなかった。しかし、そのことが原因で敗北してしまったという故事に…
64.総領の甚六(そうりょうのじんろく)
「総領」とは、最初に生まれた子。一般に長男をさす。「甚六」とは、お人よし、愚か者、ろくでなしの意。親にとって初めてできた子は特にかわいがり、甘やかすものだが、次子のときには育児にも慣れてそれほど手を掛けなくなる。そのため長男、長女はおっとりした性格になりがちであり、弟や妹たちはしっかりしていることが…
65.草を打って蛇を驚かす(くさをうってへびをおどろかす)
蛇を驚かせるために草を叩いたわけではないのに、結果的に蛇がそれに驚いたことから。何気なくしたことが思いがけない結果を招くこと。またある者を懲らしめることによって他の人を戒めるたとえ。昔、中国に王魯という汚職官吏がいた。ある時、民衆は王魯の部下の賄賂を告発する連判状(ある物事に対し、同意するものたちの…
66.他山の石(たざんのいし)
「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味で、他人の誤りを自分の修養の役に立てることをいう。『詩経・小雅(鶴鳴)』に「他山の石、以て玉を攻むべし」という記述がある。「他山の石とする」ともいう。『詩経』は中国最古の詩編。
67.多々益々弁ず(たたますますべんず)
「弁ず」とは、処理する、物事を取りさばくの意。『漢書・韓信伝』にある以下の故事に基づく。初代の漢の王である劉邦がまだ国の統一に至らないころ、部下の韓信に「我はどれほどの軍の主になれるか?」と質問をした。韓信は「ざっと十万かと。」と答えると、「では、お前はどうか?」と劉邦が聞くと、韓信は「私は多々益々…
68.断琴の交わり(だんきんのまじわり)
春秋時代、琴の名手であった伯牙は、自分の琴の音を心から理解してくれた鐘子期をたった一人の親友としていた。鐘子期の死後、伯牙は琴の絃を断ち切り、二度と弾くことはなかったという『呂氏春秋・本味』にある故事に基づく。深い友情で結ばれた親しい交わりのこと。金を断ち切るほどに堅い交際という意味。「断金の契り」…
69.竹馬の友(ちくばのとも)
竹馬に乗って一緒に遊んだ幼い頃からの友達の事から。晋王朝について房玄齢・李延寿によって記された『晋書』。その中の「殷浩伝」では、幼なじみの殷浩と桓温の関係が描かれており、「幼いとき、殷浩と竹馬に乗ったものだが、私が竹馬を棄てると、殷浩がそれを拾って乗ったものだ。もとから彼は、私の下風に立つべき人物な…
70.鶴は千年、亀は万年(つるはせんねん、かめはまんねん)
鶴と亀は寿命が長い代表で、めでたいものとされていることから、縁起の良い賀寿などの際に使われる。実際の寿命は、鶴がタンチョウヅルで20~30年、亀はゾウガメで100~200年といわれている。
71.鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)
権力者・権威者の実力や能力を疑う事。また、代わりに権力や地位を奪おうとする事。「鼎」は天下の象徴とされる器のこと。古代中国の王朝「周」の定王の時代、周はどこぞの国に滅ぼされてもおかしくないぐらいに衰退していた。ある時、楚の荘王が、「周に歯向かう異民族を討伐してみせようぞ。」といい、大軍を率いて異民族…
72.天に唾する(てんにつばする)
人に向かって何か害を与えようとすると、かえって自分が被害を受けるという事。天に向かって唾を吐いても空を汚すことなど出来ず、吐いた唾が自分の顔にふりかかってくる意味。仏教最初の漢訳経典『四十二章経』にある「悪人の賢者を害するは、猶し天を仰いで而も唾せんに、唾、天を汚さずして、還って己が身を汚し、風に逆…
73.天高く馬肥ゆる秋(てんたかくうまこゆるあき)
秋は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、馬も肥えるような収穫の季節でもある。昔、中国では、北方の騎馬民族の匈奴(モンゴル人)が収穫の秋になると大挙して略奪にやってきたので、前漢の趙充国はそれを見抜き、「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きる、今年もその季節がやってきた」と、警戒の言葉として言われていた。し…
74.塗炭の苦しみ(とたんのくるしみ)
「塗炭」は、泥にまみれ火に焼かれること。酷く、耐え難い苦しみや苦痛を味わうことを意味する。「有夏 昏徳にして 民塗炭に墜つ(夏の傑王は 不徳の暴君であったため 人民は泥にまみれ火に焼かれるような苦しみをあじわった。)」中国最古の歴史書『書経』より。「夏(か)」は、中国最古の王朝で、秦王朝よりもっと古…
75.当たらずと雖も遠からず(あたらずといえどもとおからず)
射た矢が的に命中はしていなくとも、それほど外れてもいないという意味。本来は真心の大切さを述べた句であったが、現在ではほとんど「当たってはいないが、まあまあ外れてもいないだろう。」という意味で使われる。古代中国の周から漢にかけて、儒学者がまとめた書物、『礼記』の42篇より。「心誠に之を求むれば、中らず…
76.当たるも八卦、当たらぬも八卦(あたるもはっけ、あたらぬもはっけ)
占いは、当たることもあるし外れることもなるものなのだから、占いの吉凶は気にするなということで、悪い結果が出たときに使われることが多い。「八卦」易経にある占いのことで、陰と陽を示す算木の組み合わせで得られる八種の形をいう。「はっけ」「はっか」ともいう。「卦」の「圭」とは、古代中国の皇帝が諸侯に与える先…
77.同病相憐れむ(どうびょうあいあわれむ)
同じ病気の者同士は、その苦痛がわかるので互いに憐れみ合う意から。同じような境遇や立場にある者は、互いの気持ちがよく理解できるから同情し合うということ。中国後漢初期に趙曄によって著された、春秋時代の呉と越に関する歴史書『呉越春秋』にある4巻『闔閭内伝』より「同病相憐れみ、同憂相救う」という記述から。「…
78.読書百遍義自ずから見る(どくしょひゃっぺんぎおのずからあらわる)
昔、中国の魏の国に董遇という常に本を持っている勉強熱心な学者がいた。郡から考廉に推挙され、次第に昇進し、献帝の御前講義を行う仕事をするようになったので、彼の元で、直々に学びたいと言う人が現れた。董遇は彼に対し、「読書千遍、其の義自ら見る」と言って断った。「良い書物を熟読することに意味がある」という乱…
79.忍の一字は衆妙の門(にんのいちじはしゅうみょうのもん)
「忍」とは、忍者のことではなく「忍耐」(我慢強く専念する力)を言う。「衆妙の門」とは、全ての生命(元、もしくは根源)の始まりを意味し、中国の老子から引用された言葉になる。
80.馬を崋山の陽に帰し、牛を桃林の野に放つ(うまをかざんのみなみにきし、うしをとうりんのやにはなつ)
戦争が終わり平和になるたとえ。・再び戦争をしないたとえ。兼山は、中国の西安にある崖だらけの高い山のこと。兼山を挟んで北側は平地で人が多く生活していたが、反対の南側は山間に囲まれていた。桃林は潼関県から函谷の辺りの平野のことで、古くから戦場の重要拠点にされていた。

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81~100

81.馬耳東風(ばじとうふう)
「東風」は春を知らせる風であり、人の心を和ませる。馬は春風が吹こうが特に気にしないことから。よく「馬の耳に念仏」と比較される。一般的にはこちらの方が「強い意志」「一切動じない」など騎士のような強い心を持ちながらも頭が固いイメージがあるが、一方の「馬の耳に念仏」は「理解していない」「意味がない」という…
82.馬痩せて毛長し(うまやせてけながし)
貧乏人は知恵が無く、より貧相に見えるという意味で、馬もやせ細ると毛ばかりが長く見えることから。中国の『五灯会元』に「人貧しければ智短く、馬痩せて毛長し」とあり、鎌倉時代初期に起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物語『曾我物語』にも「馬やせて毛長く、いばゆるに力なし。人貧にして智みじかく、言葉いやし…
83.杯中の蛇影(はいちゅうのだえい)
疑えば、なんでもないことにまで神経を悩まし苦しむことのたとえ。杯に映った弓の影を蛇と見間違え、蛇を飲んだと思い込んで病気になったが、それが間違いだとわかると、たちまち治ったという故事から。
84.背水の陣(はいすいのじん)
川・湖・海などを背にして構えた陣立てを意味し、退却すれば水に溺れてしまうことから、一歩も退くことができないという状態で事に当たることをいう。漢の名武将の韓信が、兵たちを敢えて山上の砦から下ろして不利な立場にし、川を背にして戦わせた。兵たちは一歩も引けない状態で、死に物狂いで戦闘し、趙の軍を打ち破った…
85.尾生の信(びせいのしん)
固く約束を守ることのたとえ。また、生真面目で融通がきかないたとえ。良い意味でも悪い意味でも用いることわざ。春秋時代、魯の国の尾生という男が、一人の女性と橋の下で会う約束を交わしたが相手はなかなか現れなかった。そのうちに大雨で川が増水してきたが、尾生はその場を立ち去ろうとせず、橋げたにしがみついて女性…
86.百聞は一見にしかず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
何度くり返し聞いても、一度でも実際に見ることには及ばない。何事も自分の目で確かめてみるべきだという教え。『漢書―趙充国』にはこのようにある。漢の宣帝が反乱を起こしたチベット系の遊牧民族を鎮圧するために、趙充国に必要な戦略と兵力を尋ねた。充国は「遠く離れた場所で戦略は立てにくいので、自分が現地に行って…
87.亡羊の嘆(ぼうようのたん)
学問の道があまりにも幅広いため、真理をとらえることの難しさを嘆くこと。また、どうしてよいかわからず、途方に暮れて嘆くことのたとえ。
88.孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)
「孟母」とは、孟子の母親のこと。「三遷」とは、住居を三度移し変えること。孟子の家族は、はじめ墓場の近くに住んでいたが、孟子が葬式ごっこをして遊ぶので、市場の近くに引っ越した。市場の近くに住むと、孟子は商人の真似ばかりして遊ぶので、学校の近くに引っ越した。すると孟子は礼儀作法の真似ごとをするようになり…
89.木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ)
物事の一部分や細部に気を取られてしまうと、全体を見失うという事。 手段を誤れば、何かを得ようとしても得られないという事。また、見当違いで実現不可能な望みを持つ事。魚は水中にすむものだから、木に登って魚を探しても得られないという意味。武力で天下統一を企んだ斉の宣王に、「武力のみで天下を取るのは不可能で…
90.良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)
良い薬は、苦くて飲みにくい。 人の忠言は聞きずらいものだが、ためになる。という事のたとえ。そのときは辛くとも、後になってためになるような忠言や叱責などを言うのに使う。『孔子家語』には孔子の言葉で「良薬は口に苦けれども病に利あり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり(良薬は苦いが飲めば病気を治してくれる。…
91.遼東の豕(りょうとうのいのこ)
「遼東」は、中国遼寧省南部一帯の地のこと。「豕」は、豚。昔、中国の遼東で頭の毛の白い豚が生まれたので、珍しいものだからと王に献上することにした。しかし河東の豚はみな頭の毛が白かったので、遼東の人は恥ずかしくなり引き返したという昔話。「後漢書・朱浮」より。
92.老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
老いた馬は道をよく知っており、迷うことがないことから転じて、斉の管仲らが道に迷ったとき管仲が老馬を放ってその後に従うと、やがて進む道が見つかったという。「老いたる馬は道を知る」ともいう。「道」は「路」「途」とも書く。中国戦国時代の法家・韓非が春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析を著したとされる書『…
93.老いては子に従え(おいてはこにしたがえ)
年をとったら出しゃばらずに、何事も子どもに任せて従っていくほうがいいということ。中国の漢代の論文集「大戴礼記」の中の「本命篇」に書かれた「三従」うちのひとつ。「夫死しては子に従う」が由来となっている。年を取ったら何が何でも子供に従え、という意味ではない。
94.刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)
その友人のためなら首をはねられても悔いはないと思うほどの親しい交友関係ということ。春秋時代、趙の将軍の廉頗は、功績により自分より上位になった名臣の相如を恨んだ。しかし相如は二人が争いにより共倒れになることを懸念し、国のために争いを避けるつもりでいることを聞いた。それを聞いて廉頗は自分の考えを恥じ、深…
95.蓼食う虫も好き好き(たでくうむしもすきずき)
辛くて苦い蓼を好んで食べる虫がいるように、人の好みは多様性に富んでいるということ。他人の悪趣味について言うことが多いが、人の好みは様々なのだから、自分の趣味から推し計って一概に否定できないという意味。江戸時代の狂言で「縄綯(なわない)」という演目で「たでくふ虫もすきずきと申すが-」とある。
96.蝸牛角上の争い(かぎゅうかくじょうのあらそい)
「蝸牛」とは、カタツムリのこと。「角上」とは、カタツムリの角(目の先)のこと。「ある日、カタツムリの左目にある国と、右目にある国が激しい戦いをしていた。」という昔話(中国「則陽」著:荘子)がある。しかし、人にしてみたらどうでもいいことであり、むしろ気にしている方がおかしい、というたとえ。
97.邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
人の世や、人生の栄枯盛衰ははかないというたとえ。昔、中国の邯鄲で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠り、栄華を極めた自分の一生の夢を見たが、目が覚めてみると、炊きかけの粥がまだ煮えきらない、わずかな時間であったという故事から。
98.隴を得て蜀を望む(ろうをえてしょくをのぞむ)
「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復蜀を望む」『後漢書・岑彭伝』より。後漢の光武帝が隴の地方を平定したあと、蜀をも手に入れようとした自分自身の欲深さを自嘲したという話。もしくは、三国志の時代に、魏の曹操が隴の地を手に入れた際、部下の司馬懿が「蜀の地も攻め取りましょう」と言うのを聞き、「す…
99.顰みに倣う(ひそみにならう)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をする時に謙遜していう言葉。春秋時代、越の西施(せいし)という美人が胸を病んで苦しんで、苦痛で顔をしかめているのを美しいと思った醜女が、それを真似て町中を歩いたが、周囲からは気持ち悪がられた。醜女は、西施の美しさは知っていたが、…
100.驥尾に付す(きびにふす)
青蠅が駿馬の尾につかまって、一日で千里のかなたまで行ったという故事から。一般に、人と行動を共にするとき、謙遜の気持ちを込めて使う。才能のない人が、すぐれた人に付き従っていれば、自分の能力以上のことが成し遂げられるというたとえ。自分の行動を謙遜していう言葉。中国前漢の武帝の時代の歴史家・司馬遷によって…

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